一本杉通り かわら版
その他 | 2010年3月25日
あの地震があった日は日曜で、時間は確か朝の9時45分頃、私(一本 杉蔵)は2階の自分の部屋にいて、転がって雑誌か何かを見ていた。
地震の際は、突然大きな突き上げがあり、すぐ大きな横揺れがやってきて、家が倒壊するのではと思うくらいガタガタ揺れた。本棚や机の上のものは落ち、壁土も一部剥がれ落ちたり、罅(ひび)が入った。
天井の丸い傘がついた蛍光灯は、ハンマー投げの選手がハンマーを振り回しているかのように、傘の縁を天井に接触させてクルクル回っていた。
震度は七尾でも震度6強あった。
揺れの速さを示すガル指数では神戸大震災を越えていたという。
能登半島地震による死者は、過疎地域とガッシリとした造りの田舎家が多かったのが幸いしてか、1人しかいなかった。
半年ほどして再度の中越地震があったので、あちらの方が被害が多く、能登半島地震は忘れられてしまった感がある。
我が家は大した被害はなかったが(といっても数百数十万の被害はあった)、近所では土蔵の壁がほとんど剥落した家などもあった。
環境破壊の影響か、天変地異も年ごと大きくなっていくような気がする。
大地震も、あちこちで起きている。
天変地異による大災害は、もうどこで起きても不思議ではないと思わなければいけない時代なのだろう。
能登は地震の影響から完全に立ち直ったとは言い難いが、この大不況時代、挫けず明るく前向きに問題に取り組んでいくしかないのだろう。
一本杉通り振興会としても、頑張りたい。