一本杉通り かわら版
一本杉通り観光 | 2009年4月23日
勝本邸以外は、写真をクリックすると詳しい情報を得られます。
<登録有形文化財>
「勝本邸」 明治30年頃 木構造二階建(腕木構造)
明治末の大火以前の伝統的な七尾町屋の風情を伝えており、内部の吹き抜けに見る骨組みや雰囲気など保存状態は良好である。
※勝本邸はモダンアートの旗手・勝本冨士雄の生まれ育った家、また直木賞作家・杉森久英の生家(母親の実家)でもあります。
<登録有形文化財>
「北島屋茶店」 明治37年頃 木造二階建(腕木構造)
明治38年の七尾の大火を免れた数少ない建築物であり、伝統的な腕木構造を伝える典型的な七尾町家である。
明治37年頃、回船問屋であった津田嘉一郎が別宅として建築。後に弁護士北林弥三次郎が購入し、弁護士事務所を開設する。昭和8年、子息敏雄が北島屋茶店を創業し現在に至っている。
<登録有形文化財>
「多田邸 旧上野啓文堂」
昭和7年頃 木造二階建 (看板建築)
万年筆の形態を造形化したユニークな外観を持った看板建築。創業者上野啓による デザインと伝えられる。昭和初期の七尾における近代建築の象徴的な建物である。
昭和7年、金沢で万年筆の修業を終えた上野啓が万年筆・文具店を開業。戦時中は 出征する多くの学徒が万年筆を買い求めた。昭和37年閉店する。
現在は「古美術・古民具・竹のはし」が店舗を借りて、営業している。
<登録有形文化財>
「鳥居醤油店」 明治41年 木造二階建 土蔵造
藩政時代から商家として和菓子製造を営んできたが、明治38年の七尾の大火で消失明治41年に再建された現存する土蔵造の七尾町家の数少ない一つである。
代々、大森屋の屋号で和菓子屋を営んできたが、明治44年、鳥居長助が引き継ぎ鳥居花鳥堂となる。 大正14年、子息定吉が醤油製造業に転業し現在に至っている。
<登録有形文化財>
「高澤ろうそく店」 明治43年 木造二階建 土蔵造
明治38年の七尾の大火後に普及した土蔵造りによる七尾町家で、その典型的な形 として重要である。重厚で情緒ある土蔵造りは、現存する数少ない一つである。
明治25年、高澤浅次郎がろうそく店を創業。信仰風土の篤い地元北陸をはじめ、全国に和ろうそくを納めている。平成8年、店舗二階にろうそくミニ博物館を開館する。