一本杉通り かわら版
ゆかりの芸術家・有名人 | 2009年4月24日
明治初期の七尾を代表する商人・津田嘉一郎
一本杉通りにあり、登録有形文化財にも登録されている北島屋茶店(店主・一本杉町町会長・北林昌之)の建物は、もともとは明治37年頃、北前船の廻船問屋として活躍した津田嘉一郎の別宅として建てられたものである。
津田嘉一郎が頭角をあらわした明治初期その頃はまだ七尾港には五百石以上の帆船が百隻以上常時出入りしていた。これらの北前船は藩政時代と同じく、南は下関から北は新潟・秋田・松前の各地を往来し、米殻・清酒・建具・藁工品などを移出し、帰路は海産物を北陸地方へ運んだ。勿論、後には近代船も所有したようだ。
また津田嘉一郎は当時の七尾を代表する商人であったので銀行も経営していた。また衆議院議員石川3区から出ていた衆議院議員でもあった。
七尾古写真アーカイブには、明治初期頃のその銀行の写真も掲載されている。
また明治42年(1909)には、彼が中心になって11人の発起人による七尾電気株式会社を組織し、翌3月には創立総会を開き設立を見た。当初は火力発電で75kwの発電をして送電した。その頃電灯が点いたのは、七尾町、矢田郷村の一部、西湊村小島の一部で、5百戸に過ぎなかったという。機関に故障も多く非難が多く寄せられたとの記録も残っている。
それでも開明的な考えを持った事業家であった事は間違いない。
なお津田嘉一郎の生没年は、明確に確認できなかった。知っている方は教えていただけると有難い